もの・こと・じょう・ほう

見据えた海は大海原。耳を澄ませば人の声。振り向き様に富士の山。影の先に一輪の花。

先日のラジオより

先日の私のラジオ「うんたらかんたらラジオ」で『劇場版シュタインズゲート 負荷領域のデジャヴ』をみた話をしていて、シュタゲと『魔法少女まどかマギカ』との妄想疑似感覚を話した。
あの時は勢いに任せて話したが、文字に書き起こして記憶に残しておこうと思う。


シュタゲではトゥルーエンドを迎える唯一の世界線を向けて岡部倫太郎が何度も世界線を移動しながら手がかりとその実行を行ってきた。
まどマギでは暁美ほむらがまどかの悲劇を避ける唯一の世界へ移動を繰り返してきた。
この状況においてオカリンとほむほむは同じ行動を取り、失敗し、再試行を繰り返す観測者であり実験者である。そして実験の結果求めようとしたいたものはクリスティーナ及びまゆしぃとまどかの死の回避であった。
結果、シュタゲでは無二の世界線へと到達し、まどマギではまどかの概念昇華によるまどか生存(肉体的死亡)が実現している。
この結果はシュタゲとまどマギで違うようにも思えるが、ここからが話なのである。


(以下、劇場版ネタバレ含む)





































そして今回のシュタゲの劇場版である。
今回は観測者・実験者がオカリンではない。逆に観測実験者の求めているオカリン消失の回避を要請されるというゲーム・アニメ版の逆の立場にある。
オカリンが消失という状況、これはまどかが概念昇華して肉体的記憶から消えてしまったがごとくである。一方でオカリンという何者かがいたというシーンもあり、概念的記憶には残っているのである。
ここで観測実験者は鈴羽からあの時到達した世界線と螺旋をなす別の世界線の存在を指摘される。
それによってオカリンがこれまで辿った個々の世界線との干渉により不安定化したオカリンの存在自体が世界線に分断されてしまうという現実を知る。
その回避は現状確かな今の世界線が他の世界線とは絶対的に異なることを印象付けて干渉による存在動揺を抑制するという行動をするという結論にいたり、ラストシーンへと向かう。


さて、まどマギの劇場版がもし、次のようになれば、シュタゲとまどマギは相互に部分重複した筋書があると思ってしまう。
(あくまで予想ですけどね)


概念記憶で生きるまどかの存在はほむらにしか記憶されておらず、その存在は常に不安定であった。
あるとき、一人の少女がこの概念自体の崩壊を望む。それはほむらが守りたいまどかの生きる概念記憶を壊す恐れがあった。
ほむらは再び時間改変へと踏み出し、まどかが肉体的記憶としてその少女から今の世界を守るよう呼びかけられるような道を導き出す。
まどかと出会ったその少女はまどか概念の崩壊を諦め、違う道へと進む。しかし、その後すぐにまどかの肉体は役目を果たしたために消失し、再び概念記憶に生きるまどかに戻る。しかし、ほむらとその少女にはまどかという記憶はいつまでも残り、魔物との戦いへと行くのであった。


こんな感じ?