もの・こと・じょう・ほう

見据えた海は大海原。耳を澄ませば人の声。振り向き様に富士の山。影の先に一輪の花。

一般人と専門家

雑感。
今回のテーマは【一般人と専門家】です。


教養とか知識とかありますが、そんなもん端から端まで凡人が知ってるはずがありません。
震災あたりから、自ら調べ、考え行動することが求められるという脅迫感がありますが、普段の生活時間のうちいったいいくらを割いてそうした時間を新たに振り向かなければならないのでしょう。
まして論理や知識も人それぞれでそこで差がついてしまうのは少し気の毒に思います。
そこは自己責任だーとかいいますが、逆に調べていったものそれ自体がデマ・嘘だったらブーメランにもなることを考えて自己責任とおっしゃっているのか気になります。
で、そういう時に専門家、震災でしたら安全保安院だとか核・原子力の専門家が出てきて説明しますが、わかるはずがありません。で、その会見なり考えを会見・テレビ・新聞・ネット・書籍にするのですが、やはり難しい。
こちら側の理解力の問題もさることながら、専門家の方が想定する一般人の理解力が正しく想定されていない、過大評価しているため、一般の方と専門家の方との間に言葉の定義だとか内容にズレが生じてくる可能性が当然発生するでしょう。
かといってそれをいちいち解説してたら何時間も何百ページもなる。


こうした乖離を是正するのがメディアの役割だと思っています。最近だと池上彰氏のわかりやすい〜〜などがあります。
そうしたアホウでもフツウでも理解しやすく事象を解説してくれる解説者が必要です。
専門家は専門的なことをじゃんじゃんやっていいと思いますし、それを公表するのが専門家の役目だと思います。彼らに解説者の役割を背負わせるのは荷が重すぎます。そしてメディアだけと言いましたが、教育も解説者の役割を十分に背負っていただく、というか本来そこへの足掛かりを形成する、役割を果たしていかなければならないはずです。
専門家と書いたのはそれが科学者のみならず、政治の世界・経済の世界にもそうしたことが求められるということを言いたいのです。
わからずして前には進めないと脅迫するなら、それだけの用意がいるのではないでしょうか?