もの・こと・じょう・ほう

見据えた海は大海原。耳を澄ませば人の声。振り向き様に富士の山。影の先に一輪の花。

【定期】卒論

本題:18世紀中ごろの幕府財政と米価


幕府財政収支の変動を米価変動との関係でみていこうというもの。
江戸時代、幕府の活動の財源は基本的には金銀ではあるが、収入の元手となるのは年貢である米。その米を市場にて売却することで金銀を獲得し、いわゆる政府支出を行う。市場ではその年の米の豊作・凶作によって廻米の量に変動が生じる。このため、米の価格も変動する。米を売却することで金銀を得る幕府(藩でも同じ)にとって米価の変動は財政との関係において非常に敏感にならざるを得ない問題であった。
享保期の一連の改革で米の増産や徴税の強化が行われ、生産力は大きく向上した。しかし、市場原理からすると、増産は米の価格の下落を引き起こしてしまう。現に、「米価安諸色高」と呼ばれる現象が発生し、かつては米価引き下げ令や酒造制限を行っていた幕府は一転して米価引き上げ令や酒造制限の緩和を行い、米価の下落に歯止めをかけようとした。その一環として元文の改鋳を行い、金銀の市場へのばらまきを実施した。これによって米価は瞬間的に3倍、平均2倍に上昇し、一応の危機を乗り越えた。しかし、結果からしてその後も米価は下落傾向が続いている。幕府は直接的な介入から市場を介して間接的な介入を行う政策転換を行い、買米、御用金、堂島会所公認など市場の円滑な取引を促すことで市場原理を用いた経済停滞、米価の安定を図ろうとした。
こうした幕府−市場−米価の関連性を幕府財政収支と米価推移の史料を用いながら、幕府の政策基調をみてみたい。
先行研究では市場の制度や流通構造、米価、堂島といった市場機構の中にとどまった議論がなされており、一方で財政に関しても財政収支、金蔵といった財政にとどまった議論がなされている。上記で述べたように、財政と米価の関係性は非常に強いことから、この両者を組み合わせた論考が必要となっているが、それに言及した論考は皆無に近い。このため、そこに焦点を当てた論考をしてみようというのが私の卒論のテーマである。




って感じのをやるよていです。