もの・こと・じょう・ほう

見据えた海は大海原。耳を澄ませば人の声。振り向き様に富士の山。影の先に一輪の花。

「変わる」のか「変える」のか

長い公務員試験のスタートまで、あと20日です。
これからの人生の苦難に自ら足を突っ込む試験です。
と、同時に民間企業の選考も今年は地震の影響もあってほぼ同時に始まります。


世間では原発だ、地方選挙だなどとそれぞれ問題があります。
「日本を変える」「この政策を変える」などのうたい文句が並びます。
うんうん、よくわかります。この現状を変えたいのはわかります。
ただ、この非常時に現状を「変える」ことに危険がないとは言わせません。
少なくとも、少し前まではそれが「変えた」結果だったのです。
やみくもに「変える」理念だけを掲げてそこに説得力ある論理展開がなければ、バカに振り回されただけの話になります。
いや、話で済むならまだましです。それによって誰かに悪い影響を与えたのなら、それは身勝手なことで誰かが傷ついているのだということです。
そして、その「変える」を標榜しなくても時の経過とともに「変わって」きたのがこの社会です。
「変える」ことの身勝手さと、それを語るだけの覚悟と責任を理解してる人にはおおいに「変える」を標榜してもらって構いません。私はそれを歓迎します。
しかし、そんな用意もないのに「変える」を語らないでください。それは独善的で偽善的で、身勝手で多くの方を惑わすのです。罰することのできない犯罪です。
そんな不用意な語りなくとも私たちは、社会は「変わる」のです。社会はそこまで感情一辺倒・非論理なものではありません。


一人の人間の人生も行動も性格も同じです。「変える」と決意する気概は認めても、そこで捨てた自身にちゃんと説明できるのだろうか。その判断間違ってないか。人と話し、よく考えた上での「変える」なのだろうか。
「変わり」ゆくことを受容した上で日々を見つめることも考えてはどうなのだろうか。


判断することの重さの自覚。責任を受け入れることのできる心の保持。それを導き出す思考と経験。そして「変えられた」過去の自身の存在。
これだけでいい。これしかいらない。これ以外いらない。


自らを「変える」準備、できていますか?