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今回は歴史の学術と娯楽について。
たまにtwitterで江戸時代がいいという、個人的には冗談未満にしか聞こえない言葉をみかけます。
何を勘違いしているのでしょうか。冗談だと信じてますよ。
さて、学術と娯楽には明らかな違いがあります。サッカーを例にしましょう。
プレーヤーはもちろんその歴史事象そのものです。信長や秀吉、ある場面が本能寺の変だったりします。
では、学術研究者は何をしているのでしょうか。それはカメラさんです。1カメ、2カメといますが、彼らが見えるのはそのレンズを通してみえるそこだけです。
しかしながらこのカメラさん、個室からカメラを撮っています。しかも、周りには他のカメラさんが撮った映像が見えてます。
これ、カメラ担当にしては豪華じゃね?まぁここはたとえなんでそんな人らがこの試合を撮っています。
さて、我々一般凡人は?我々は家の居間でその試合をテレビ観戦してます。
さて、ここで問題です。サッカーの試合ではカメラがコロコロ切り替わります。これは誰がしているのでしょうか。
それは映像編集を行うテレビ局です。では、このテレビ局とは誰か。そう、メディアなのです。
このメディアがNHKであれば、大河ドラマになり、岩波などの書店ならば学術書や新書そして萌えや腐、イケメンなどの娯楽物に化けるのです。
つまり、この映像編集の腕が我々一般人に歴史認識の影響を与えるのです。では、この視聴率・人気はどうか。NHKや娯楽系統が抜け出ます。
当然です。
あれほどインパクトを与えるのはダイジェストを流すようなものです。学術書はCSの後ろの方の専門チャンネルです。まず見られません。見るなら料金払ってね「、っていうくらい敷居が高いというか見えない壁があります。
この学術と娯楽の壁、地上波とCSの壁みたいなものが学術と一般娯楽との歴史認識の差になってしまうのだと私は考えているのです。
いくら学術研究者ががんばってっも最後はテレビ局などのメディアの裁量がかかってしまうのです。あれ?これって政治や経済のニュースでも似たようなことあるよね()
この壁が理解されずに冒頭のツイートがされると、理解に齟齬が発生するのは当然です。
地上波のダイジェストとCSのオールビジョン・多カメの観戦では理解の差は当然です。
ここをなくすはずの教科書がまたね。壁越え20年ですから。