もの・こと・じょう・ほう

見据えた海は大海原。耳を澄ませば人の声。振り向き様に富士の山。影の先に一輪の花。

とりあえずかましてみる

ダイアモンドとかいう連載で、
ゆとり世代の危機性を露わにしてますが、どうなんでしょうか。
努力が簡単には認められない現実社会と経験値=努力とされるゲームの世界。
努力を認められたいという気持ちがゲームの世界へ彼(山本君だっけ?)をいざなっていると思える。たしかにそうなのかもしれない。
しかし、彼が独立してしたいことは田舎の喫茶店のマスター。現実世界の厳しさから逃げ切ろうとして、認められることさえ放棄して、そんなことを考えている。彼が何を求めているのか、つかみようがない。それなのに取材者はそのあたりを無視してゲーム世界が危険だと偏見を押し付けているようにも思える。


取材者側の偏見もさることながら、取材から何が学べるのかということもいまいちわからない。ゆとり世代は○○だ、なんてことは何年も前から言われていることなのに、いまさら叩いてどうなるんだと。これから何十万人が毎年社会に出ていくのに、それを分析してどうなるというのか。
分析の先に示さなければならない処方箋を考えていくことが未来をデザインすることではないのだろうか。
ゲームの世界に近い社会観を企業内に取り入れるとか、ゲーム業界が現実的な社会観を導入してゲームが努力一辺倒ではないことを示すとか、そうした空想でも構わない(そんな程度しか導けないだろう取材だから)。
ゆとり世代が社会に出ていくことに、ゆとり世代自身が一番危機感をもっているはず。先が見えない社会で既存の価値観に振り回されながらも歯をくいしばってやっていかなきゃならない。既存価値にしがみつつ、壊したい気持ち、逃げたい気持ち。ほかの世代だってかつて通り抜けてきた道だったはず。
ゆとり世代がもってる危機感、それは大人の既存の価値観を将来否定することを予定しているに他ならない。ゆとり世代が大人の既存価値化したら次の世代が抗ってくる。こうして社会が移り変わっていくものだろう。
逆に、危機感がなくなったときこそ日本社会の没落が始まるのだろう、と。その分、まだマシなのではないかとは思う。ただし、ゆとり世代が主導権を握った時に何を価値観として既存化させるかという行いをしなければならないことも確かではある。


ここから約20〜25年後、同じような若者のダメさを叩いていることは間違いないだろう。それが健全な社会の世代抗争であると私は信じている。