もの・こと・じょう・ほう

見据えた海は大海原。耳を澄ませば人の声。振り向き様に富士の山。影の先に一輪の花。

たまたまみたことで一感想

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091008/206657/


をたまたま発見しました。
以下で読んで思った感想を書きたいと思います。


「日本の給与体系は従来の協調を基本とした給与体系であると見なせる。」というのは社会に出ていない私には今でもこれなんだという前提で受け止めておく。
「測るという事を専門とした世界最高峰の人たち」「が、成果の80%は皆がかかわり合った結果であって、環境から独立した個々の人間の成果として判別できるのはごく一部であるという結論に達した」という。じゃあなんで、日本企業は一時的にアメリカ型給与体系に移行した際、回帰を抑える切り札にこれをもちだせなかったのだろうか。それはやはり旧来であることへの利権(といえば大げさだが...)の方がよいと判断したわけで、それはそれで今、その結論(良し悪しは企業ごとで変わるのだが、)は出ていると思われる。
ここまでは、別に問題にすべきところはない。
問題はここからである。
図で示された分布曲線。たしかに、半分が敗者である。しかし、必ず半分が敗者か?半分以上が敗者にもなれば、半分以上が勝者にもなるのではないか。
それは給与アップでおこる満足度の差が勝者か敗者かをわける感情に大きくよるのではないかと思われる。
そして、もっとも、個人のがんばり次第で変わることへのリスクを取れるのか。成功すれば、大金持ち。失敗すれば貧になるという実力決定給与体系はそれこそ新自由主義ではないだろうか。
今の従業員がそれを求めるだろうか。
いや、むしろ少し少なくなっても、その地位の安定を求める風潮が今、この不況の世の中では主流なはずである。
好況にこれから戻ったときの為にこの議論をするのは筋であるが、今すぐ転換を求めるようならば、それは経営陣の論理であり、従業員から反発されることは目に見えないのだろうか。




と、大学でモラトリアムを謳歌する一大学生がほざいてました。